「七色の声を持つ歌手」「永遠のガール」「自分らしさ」を貫くアーティストの先駆け、などと言われるシンディ・ローパー。
デビュー35周年、66歳になった今も輝き続ける、彼女の魅力に迫ります。
彼女の愛情溢れるエピソードや、日本への想い、様々なチャレンジを知れば、洋楽初心者も、きっとシンディを好きになるはず!
カラフルなヘアスタイルや、ユニークなファッションという強烈な個性の影に、正直すぎるがゆえ、生きづらさも感じていたシンディ。
「シンディって誰?」という方にこそ、今聴いてほしい!
シンディ・ローパーのエピソードと、人気曲をご紹介します。
~目次~
シンディ・ローパーとは?
プロフィール
1953年 6 月22 日シンディ・ローパー(本名:シンシア・アン・ステファニー・ローパー・ソーントン)はニューヨーク市ブルックリンで生まれる。12歳にしてギターを弾き、歌詞を書き始める。最初に弾いた曲は『グリーンスリーヴス』。やがて音楽よりむしろ絵画に興味が走り、アート・スクールに進んで美術に熱中。
https://www.sonymusic.co.jp/artist/CyndiLauper/profile/
1980年マルチ楽器奏者John Turiとバンド「ブルー・エンジェル」を結成する。1980年にはセルフ・タイトルのデビュー・アルバムをリリース、収録された曲は『Maybe He’ll Know』や『I’m Gonna Be Strong』。
1983年 春、ソロ・アーティストとしてポートレート・レコーズと契約。(ソロ)デビュー・アルバム『She’s So Unusual』は年末にリリースされ、アメリカだけで450万枚、全世界で800万枚という驚異的なセールスを記録する。また、女性アーティストとしてアルバムからトップ5シングルを4曲(『Girls Just Want To Have Fun』 『Time After Time』 『She Bop』 『All Through The Night』)も創出したのは初めてのこと。
上記のプロフィールでは、誕生からデビューまでがシンプルにまとめられていますが、デビューまでの30年、実はたくさんのドラマがありました。兄弟は、姉と弟が一人ずつ。5歳の時に両親が離婚。9歳で髪を染め始めます。
母親が再婚した義父と折り合いが合わず(暴力を振るう小児性愛者だった)17歳で家出。母親のすすめで入学した服飾高校を、落第の末、退学しました。家を出てからは、職を転々とし歌い続けるも、喉を酷使して声帯を損傷。
音楽活動を休止し、ボーカル・コーチについて歌声を取り戻します。27歳の頃、結成したバンド「ブルー・エンジェル」は、成功するかに見えましたが、それが叶わず、解散。自己破産し、働きながら歌い続けます。
その後、恋人でマネージャーのデイヴィッド・ウルフと出会い、30歳でソロデビュー。「マドンナ派?シンディ派?」と言われる、80年代を代表する女性シンガーに駆け上がりました。
プライベートでは38歳の時、映画共演をきっかけに俳優のデヴィッド・ソーントンと結婚。44歳にして、念願だった子供を出産しました。
そして現在、66歳。デビュー35周年Anniversary Tourで、日本に来日予定です。
【シンディの魅力1】「自分らしさ」を貫く姿勢
ソロデビューから、瞬く間に有名になったシンディですが、有名になってからも苦悩に直面します。
自身のパーティーでさえ、周りに人が集まれば集まるほど孤独を感じ、ホテルの部屋に閉じこもってしまうこともあったとか。
自分が表現したいことと、相手から望まれていることの差にもがいたり、本当の自分を理解してもらえない悲しさに押しつぶされそうになったりと葛藤しながらも、必死に表現し続けます。
例えば、1985年に発売されたUSAフォー・アフリカの『We Are The World』では、超豪華なメンバーの中、デビュー間もないシンディが、強烈なインパクトを残しています。
『We Are the World』
シンディの出番はCメロの後半部分。
どんな風に歌うか直前まで分からなかったけれど、そのメロディがいきなり飛び出してきたんだそう。
「コントロールがきいていない時、自分の中から何だろうと飛び出してくるのを許した時に、最良の歌が生まれる」と、彼女は自伝で語っています。
それも、様々な曲を研究したり、試したり、日々の積み重ねがあってこそ、出てくるものなのでしょうね。
【シンディの魅力2】親日家
ジャパニーズレストランでの勤務
家出をし、職を転々としていた時に出会ったのが、ニューヨークのジャパニーズレストラン。
定職もなくブラブラしていたシンディに、当時レストランを経営していた日本人女性が、「自分の店で働きなさい」と誘ってくれ、「いつか売れる日が来るから頑張りなさい」と励ましてくれました。
この出会いが、親日家へのきっかけの一つになったのでしょうね。
実はシンディ、「紅白歌合戦」や、「新春特番!オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦」「王様のブランチ」「笑っていいとも」など、様々な日本のテレビに出演しています。
【シンディの魅力3】強い意志と深い愛情
震災直後のライブ
2011年3月11日、シンディは日本に向かう飛行機の中にいました。
震災の混乱の中、羽田に到着。
主催者は、公演の中止を考えましたが、シンディが「私にできることは音楽」と強い意志を示したこと、会場の安全確認が取れたことから、開催が決まりました。
放射能や余震の心配の中、シンディは日本のため全力でライヴをし、東京最終公演では、自ら義援金の呼びかけに参加し、一人ずつハグや握手で応えました。
そんな中でも、特に有名なエピソードは、大阪公演で歌った『Shine』と『What’s Going On』ではないでしょうか?
『Shine』
ライヴの途中、一人のお客さんが「Cyn!」と声をかけ、手紙とプレゼントのようなものを渡すと、それを読んだシンディが「OK」と言って広げたのは日本国旗。
これを背負って『Shine』を歌い、NHK大阪ホールが一体となりました。
上記の動画は当日のものではありませんが、黒の服を着たシンディと、ブルーのバイオリンと、優しさ溢れるバンドと、めちゃくちゃ近い距離のお客さんとが一体となった、パワフルなライブ映像です。
『What’s Going On』
『Shine』を歌い終えたシンディは、バンドメンバーのところへ。急遽、追加で歌われたのが、カバー曲の『What’s Going On』。
マーヴィン・ゲイの1971年の大ヒット曲で、ベトナム戦争から帰還した弟から戦場の様子を聞き、反戦のメッセージを歌った名曲です。
この動画も当日のものではなく、ミュージックビデオですが、込められたメッセージはそのまま、シンディの世界観で表現されています。
ニコニコ動画生中継で13万人がライヴに参加!
日本最終公演、シンディの強い希望により、できるだけたくさんの日本のファンのために歌の力を届けたいと、ネットでライヴ中継することに。
開演2時間前に配信決定し、そこから告知したにも関わらず、最終的に13万人以上が視聴!!
強い意志と深い愛情で、日本に、世界に、音楽の力を証明してくれました。
【シンディの魅力4】歌手の枠にとどまらない、表現者
「キンキーブーツ」の楽曲提供
初めてシンディがミュージカルナンバーを全曲書き下ろした、ブロードウェイミュージカル、「キンキーブーツ」は、第67回トニー賞でオリジナル楽曲賞を受賞し、大ヒットしました。
日本版では、三浦春馬さんがミニスカにブーツでキレッキレに歌って踊るローラを演じ、話題になりましたね。
キンキーブーツといえば、やっぱりこの曲!『Sex Is In The Heel』ノリノリ!キャッチー!!とってもカッコいいですよ!歌うビリー・ポーターを、シンディが見つめる姿も収録されています。
【シンディの魅力5】素直さ
『Rolling Stone』誌のインタビューで、「そのスタイルやパーソナリティのせいで、あなたの音楽が脇に追いやられていると感じたことはないか?」と問われたシンディは、こう答えた。「スーツ(を着た)連中は、こう言ってた。
https://www.barks.jp/news/?id=1000126801
“君のイメージは大きすぎる。君の歌が聞こえない”って。でも、彼らは企業の人間で、パフォーマンス・アートを理解していない。90年代の初めごろ、彼らが“君の本当の色は内側から光るべきだ”って、私に言い続けてた時期があった。それで、私はどんどん、どんどん地味になっていったの」
「鏡を見て、“あんた、誰よ?”って自問してた。もがき苦しんでいたんだと思うわ。(2009年に)レディー・ガガに会ったとき、目が覚めたんだと思う。“私は自分が好きなときに、おっそろしい色の髪にしてやる!”ってね」
M・A・Cエイズ基金で、レディ・ガガとコラボし、インスパイアされたことが書かれています。
ガガが、大先輩であるシンディから影響を受けるのは、自然な流れのように感じられますが、キャリアを積んだベテランアーティストが、自分よりうんと若い人から学び、覚醒するって、すごいことだと思いませんか…??
シンディ・ローパーの人気曲、ベスト3
『Girls Just Want To Have Fun』
全米最高2位を記録。10ヵ国以上で1位になり、15ヵ国以上でトップ10に入った、1stアルバム『She’s So Unusual』からの1stシングル。
元々は男性が書いた曲で、それをシンディが女性バージョンに書き直し、全く新しい曲が生まれました。シンディが小さい頃によく聞いたオルガンの音が入っていたり、ミュージックビデオは、シンディの大切な人ばかりが出演していたり!
最初に出てくる、卵を割っている女性は、シンディの母。最後に出てくるピザ配達人は弟。
シンディは自分の作品を、一種の社会運動だと捉えていて、親と子が仲良くするのを流行らせることができる!と考えていたそう。
当時は今と比べられないくらい、男女差別が当たり前の時代。「女の子だって、ただ楽しみたい!!」が、弾けた1曲です。
『Time After Time』
1stアルバム『She’s So Unusual』からの2ndシングル。2週連続で全米1位を記録。
数多くのアーティストにカバーされ(軽く10人以上!)、今なお愛され続ける名曲です。
私がシンディと最初に出会った(認識した)のも、この曲でした。
海外旅行中、現地のミュージシャンが海をバックに、ギター1本でゆったり優しく歌っていたこの曲が、本当に素敵で…!
のちにネットで調べたら、主張強めな赤毛の女の子のミュージックビデオを発見し、衝撃を受けました。笑
お相手の男性は、当時のシンディの恋人でマネージャーだった、デビッド・ ウルフ。
歌はもちろん、シンディはミュージックビデオの全てにこだわり、編集にまで加わっていました。(当時はフィルムを切ったり貼ったりしていたそう!)
音楽は「時間芸術」と言われますが、音楽のように動く映像にも、シンディは表現の可能性を見出していたのですね。
『True Colors』
2ndアルバム『True Colors』からの1stシングル。2週連続全米1位を記録。
シンディがこの曲に出会う前、こっそり子宮内膜症の手術を受けていました。
精神的にも体力的にも仕事を再開するのが困難だった頃、ゲイの友人がエイズで亡くなりました。彼は12歳の時、虐待を受けたのちに親に捨てられ、彼のいとこはトランスジェンダーの女性で、周りから笑い者にされていたことにシンディは心を痛めていました。
亡くなった彼や、彼を愛していた人、そして全ての人たちに捧げた癒しの曲が『True Color』です。
真の姿を表に出すことを怖がらないで。本当のあなたこそ愛しているんだから…
太鼓の音が、DNAに刻まれた遥か遠い記憶を呼び覚まし、ささやくような歌声が、私たちを優しい光に包み込む、祈りのような1曲です。
まとめ
シンディ・ローパーの魅力を5つにまとめると…
- 「自分らしさ」を貫く姿勢
- 親日家
- 強い意志と、深い愛情が溢れる人柄
- 歌手の枠にとどまらない、表現者
- 変わることのない素直さ
全てが、彼女や彼女の大切な人たちの想いを元に生み出され、歌いっているからこそ、何年経っても色あせることなく、シンディの歌は、私たちの心に響き続けるのではないでしょうか?
最新曲『HOPE』も、自身の皮膚病、乾癬の経験から生まれ、同じように苦しむ人たちへのエールと、世間への認知向上のため、2017年に発表された曲です。
この『HOPE』もボーナス・トラックとして追加収録されているのが、「最新ベスト盤(ジャパニーズ・シングル・コレクション)」。
シンディ・ローパー、デビュー35周年Anniversary Tourを記念し、好評発売中です。
彼女のストーリーを感じながら聴くと、今の自分に必要なメッセージを受け取ることができるかもしれません。
執筆日:2019年9月20日
ライター: hozumii
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