洋楽のススメ3

音楽ジャンルのルーツ(続き)

前回「ポピュラーミュージックのルーツを洋楽から紐解く①」で、ブルースとジャズのルーツを簡単にまとめてみました。お読みでない方はそちらからどうぞ。

今日のポピュラーミュージックの礎となったのは黒人音楽です。その背景に、黒人奴隷、黒人差別が横行していた社会の存在を忘れてはなりません。生きるために歌い、自らの生を音楽に託してきた彼らの魂こそがポピュラー音楽を生み育ててきました。

ブラック・ミュージックから派生した音楽に、ブルース、ジャズ、リズム&ブルース、ゴスペルなどがあります。それらがまた白人音楽と融合することでさらなる発展を遂げ、後にさまざまな音楽ジャンルが生まれました。

前回もお話ししたように、音楽ジャンルを完全にカテゴライズすることは不可能だと思っています。
曲構成、使われる楽器、歌唱スタイル、ファッション、思想、生い立ちや生き様…すべてが共通することなんて考えられませんから、はっきりくっきり区分することなんてできません。
ですが、その人が生きた時代背景や影響を受けた人物などを知ることで見えることもあります。少しだけでも知識があれば、感じ取れるものが変わってきます。

もっと音楽を楽しむために、ポピュラー音楽史に興味をもってもらえたら嬉しいです。
それでは始めましょう!

ゴスペルのルーツ

ゴスペルシンガー

ゴスペルはブルースと同様、そのルーツはアフリカに根ざしています。
ブルースが個人の私的表現であるのに対し、ゴスペルは多くの人と分かち合う宗教的理念の表明であったため、両者はそれぞれ異なるスタイルへと発展していきました。

アメリカ大陸に奴隷として連れてこられたアフリカ人は、彼ら独自の言語・宗教などをすべて奪われました。そんな中、彼らは救いを与えるゴスペル(福音)と出会い、キリスト教への改宗を経て、神に彼ら独自の賛美を捧げるようになりまます。

南北戦争が終わり、奴隷制度が廃止されると、黒人たちは自分たちの教会を建て、礼拝にアフリカスタイルであるコール&レスポンスを持ち込みました。
アフリカ特有の跳躍するリズムにブルー・ノート・スケール、また賛美歌などの音楽的・詩的感性が融合して、現在のゴスペルの基調となる音楽が生まれました。

ゴスペルが広く受け入れられるきっかけとなったのは、1968年にリリースされた『♪OH HAPPY DAY』で、1970年グラミー賞でベスト・ソウル&ゴスペル部門賞を受賞し、ゴスペルソングは教会だけでなくあらゆる場面で歌われるようになりました。映画『天使にラブソングを』でゴスペルに関心を持った人も多いのではないでしょうか。

後年、ゴスペルは教会音楽という枠を超え、ジャズやロック、ヒップホップなどとも結びつき、国籍宗教問わず広く愛される大衆音楽となりました。
ゴスペルの定義は「神への賛美」で、神様に向けて歌っているものは広くゴスペルと呼ばれています。コール&レスポンスを用いるのも特徴の一つです。

リズム&ブルース、ソウルのルーツ

1930年代に、シカゴ、デトロイト、ニューヨーク、ロサンゼルスの工業地帯に、多くの黒人たちが移り住んだことで新たな市場が生まれました。
リズム&ブルースは、1940年代後半から50年代初めにかけてできた、人生を謳歌する都会的な黒人たちのダンスミュージックとして誕生しました。

リズム&ブルースは、白人のカントリー・ミュージックと黒人のブルースが融合したもので、その名称は、 1950年代~60年代にアトランティック・レコードの経営者を務め、ソウル・ミュージックのゴッドファーザーと呼ばれた名プロデューサー、ジェリー・ウェクスラーにより命名されました。

多彩な楽器構成で、リズムに乗りながらブルース感のある歌を叫ぶように歌うスタイルはロックンロールの基礎を形づくり、 現代でも様々な音楽のルーツになっています。

当初は、黒人が演奏するリズム&ブルースは白人聴衆には人気がありませんでした。ですが、リトル・リチャードチャック・ベリー等が自身の曲をポップヒットチャートに乗せ、やがて白人たちの人気を得るようになりました。

チャックベリー

チャック・ベリーと言えば、ロックンロールの創始者の一人、ロック界の伝説というイメージが強いと思います。
リズム&ブルースと言ってもピンときませんが、先ほども触れたように、リズム&ブルースが「 都会的な黒人たちのダンスミュージック 」であり「 リズムに乗りながらブルース感のある歌を叫ぶように歌うスタイル 」と定義づければ納得できるのでは?

当時、アフリカ系アメリカ人の音楽は「レイス・ミュージック」 と呼ばれていました。”レイス”とは人種を意味します。その差別的名称を退けて、アフリカンアメリカンとしてのルーツを誇示するための音楽として「リズム&ブルース」と呼ぶようになりました。

狭義の「リズム&ブルース」とは、この1950年代の黒人ポップ・ミュージックのことを指します。そして、 リズム&ブルースの躍動するビートと、歓びにあふれたゴスペルの活力が融合して「ソウル・ミュージック」へと発展し、60年代以降はリズム&ブルース=ソウル・ミュージックとなります。

リズム&ブルース、ソウル・ミュージックの有名アーティストとしては、ウィリアム・スモーキー・ロビンソン スティーヴィー・ワンダーマーヴィン・ゲイレイチャールズなどでしょうか。

現代にも、狭義のリズム&ブルースをルーツとした音楽もありますが、普段わたしたちがR&Bだと思っている音楽はもう随分と洗練された感じがします。
もともとの枠組みはほとんど消え、黒人でなくても、黒人っぽい歌い回しやリズムの取り方をしているものを広くリズム&ブルースと呼んでいます。

カントリーのルーツ

ミュージシャン

カントリーというと、カウボーイハットにブーツというイメージがあるかと思いますが、それは西部劇の影響であり、カウボーイとカントリー・ミュージックとの間に関連性はないとのこと。”古き良きアメリカ”の象徴でしょうかね。
カントリー・ミュージックは、白人労働者階級の音楽であり、さまざまな伝統的音楽が融合して生まれた、”白人のブルース”と称される音楽です。

その起源は、17世紀から19世紀にかけ、ヨーロッパ諸国から大量の移民がアメリカ南部と南西部に入ってきたことが始まりとされています。
とくに1840年の大飢饉をきっかけに大量のアイルランド人がアメリカに移住したことなどがきっかけとなり、ヨーロッパからさまざまな音楽が持ち込まれ、南部のフォークミュージックとして根付いていきました。

楽器は持ち運べるバンジョーなどの弦楽器が中心で、音楽も単純な3コードを中心にしたものが多いのも特徴です。

歌い方の特徴としては、しゃくりあげる「ヒーカップ唱法」や口ごもらせる「マンブリング唱法 」、メロディー中に鼻歌を入れる「ホンキートンク唱法」などがあります。エルビス・プレスリーの歌の特徴ともいえます。

リズム&ブルースが、白人のティーンエイジャーの間で人気が高まってくると、カントリーミュージシャンがリズム&ブルースをカバーしたり、リズム&ブルースのミュージシャンがカントリーミュージックをカバーしたりしました。

それらが結合していくことで、新しいロックンロールのスタイルも形成されていきました。なかでも、カントリーシンガーと見なされていたエルビス・プレスリーが「ロカビリー」というスタイルを確立し世界的スターになったことで、多くのロックシンガーたちに多大な影響を与えました。

現在も多くのカントリー・ミュージシャンが活躍しています。
フェイス・ヒルは 、デビュー曲『ワイルド・ワン』がカントリー・チャート第1位となり、1994年に30年ぶりにビルボード誌の4週連続第1位を獲得。
南部出身のリアン・ライムスは、 1996年度グラミー賞で最優秀新人賞と最優秀カントリー女性アーティスト賞を史上最年少の14歳で受賞しています。
その他、シャナイア・トゥエインサラ・エバンスミランダ・ランバート、世界で最も影響力のあるスターの一人であるテイラー・スウィフトもカントリー・シンガーです。カントリーの女性シンガーは美人揃いですね(´艸`*)


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ロック史に名を残すアーティストたち

ロックコレクション

ティーンズ・ポップ

ジャズが複雑化したことで一般の視聴者は離れていきました。その結果、レコード会社は白人の若者をターゲットにしたティーンズ・ポップへと路線を変えました。

1952年フィラデルフィアのテレビ局が全米のティーン向けに音楽番組を放送し、この番組から、ポール・アンカコニ―・フランシス二―ル・セダカなどのティーン・アイドルたちが誕生しました。

視覚的アピールに重点をおいたボーカルやダンス。 恋愛など十代の問題に焦点を置いた歌詞などで歌われているのが特徴です。

フォーク・ロック~ボブ・ディラン~

当時アメリカで起こっていた「公民権運動」や「ベトナム戦争」への介入に対し問題意識を持っていた学生たちに支持されていたのが、ボブ・ディランなどのフォークミュージシャン達でした。

当時はボブ・ディランをはじめとした、社会に対し問題意識を持った曲を唄っていたフォークシンガー達をひとくくりに「プロテスト・シンガー」と呼んでいました。
フォーク支持者たちはラヴソング中心の、無難で型にはまった音楽を嫌い、社会風刺的な詩世界のあるフォーク・ソングを好みました。

ブリティッシュ・ロック~ビートルズ~

イギリスの港町リバプールで結成し、幾度かのメンバーチェンジや名称の変更後、 英国で徴兵制度が廃止された1960年にビートルズというバントが誕生しました。もし彼らも徴兵されていたら、ビートルズというバンドは存在しなかったかもしれません。

第二次世界大戦でアメリカ兵が残していったレコードに触発され、イギリスでもジャズやブルースが流行したため、ビートルズも当初はリトル・リチャードやチェック・ベリーなどのカヴァー・バンドとしてスタートしました。

1962年「Love me do」でレコードデビュー。1年後にはアメリカでのデビューも果たし、後にアメリカでボブ・ディランと出会ったことを機に、その後の音楽性には宗教性や哲学的思想が反映され、ただのラブソングとは違った人生観が感じられる作品が増えていきました。

当時、人気を分けていたアーティストに、1962年ロンドンで結成したミック・ジャガー率いるローリング・ストーンズがいます。当人たちは、常に比較されることを面白がっていたそうです。

ローリング・ストーンズの出世作『♪ I Wanna Be Your Man』は、ジョンとポールがストーンズのメンバーの目の前でアッと言う間に書き上げた曲で、自分たちでは気に入らなかったのかストーンズに提供されました。

サイケデリック・ロック~3J~

1960年代後半にベトナム戦争に送られた若者たちは、戦争での閉塞感や恐怖感からの逃避をドラッグ・カルチャーに求めました。
この頃のヒッピー文化を象徴する3人が、ジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョップリンドアーズのジム・モリソンで、頭文字をとって「3J」と呼ばれました。

3Jだけでなく、この頃のアーティストのほとんどがドラックを使用しており、ステージは常に破壊的であり、警察の介入は日常茶飯事でした。
こうして、ロック=反権力という図式が確立したわけです。

カントリー・ロック~イーグルス~

1960年代中期までは保守的だとされていたカントリーミュージックですが、ボブ・ディランがカントリーのメッカであるナッシュビルでレコーディングをしたことをきっかけに、アコースティック感覚のカントリー・ロックに人気が出ました。

1970年代にカントリーロックは商業的成功をおさめることになり、なかでも西海岸出身のイーグルスの成功はカントリーロック界では最大といえます。

初のベストアルバム『グレイテスト・ヒッツ1971-1975』は、全米だけでも3,800万枚以上の売り上げを記録し、全米歴代で最も売れたアルバム、プラチナディスク認定の第1号となりました。

その他、カントリーとR&Bの融合で独自のスタイルを確立したドゥービー・ブラザーズもこの頃活躍したグループのひとつです。

ソフト・ロック~カーペンターズ~

1970年代は社会全体が落ち着きを取り戻していきました。その頃ロックはソフトロックとハードロックという二つの大きな流れに分かれていきます。

ソフトロックはフォークミュージックの流れを一部継承し、アコースティックで繊細な表現を好み、社会性や政治色から離れて、自己の感情や日常生活、人との関わりや愛などを自然体で表現しました。その代表的なアーティストがカーペンターズです。

大音量や派手で激しいステージが求められていた60年代のロックと異なり、スッキリとアレンジされたサウンドは新鮮さを与え、人々は新しい時代の到来を感じました。

ハード・ロック~レッド・ツェッペリン~

ジミ・ヘンドリックスのようなパワフルで攻撃的な要素をもちつつ、ブルースやフォークロックとの密接さも維持し、ヘビーなだけでなく、バラードも歌うのがハードロックです。

そんなハードロックの基礎を築いたバンドのひとつがレッド・ツェッペリンです。彼らは 1995年に「ロックの殿堂」入りを果たし、2005年には「グラミー賞:生涯業績賞」を受賞しています。

ハードロックのパイオニアとされるツェッペリンと並ぶロックバンドがディープ・パープルで、玄人好みのツェッペリンに対し、キャッチーで覚えやすいリフのカッコ良さは今もなお多くの人を魅了しています。

シンガーソングライター

70年代の飾らないアコースティック中心のサウンド作りのなかで、創作意欲にかられさまざまなアーティストたちが活躍しはじめた。
シンガーソングライターの筆頭にキャロル・キングがあげられます。

1960年以降600曲以上の曲を書き、グラミー賞を4回も受賞しました。
『♪It’s too late』は、マイケルジャクソンがこの記録を破るまで最長期間ベストセラーとして記録されました。
この曲と並んでヒットしたのが「♪You’ve Got A Friend」で、今やスタンダードナンバーとして、多くの歌手にカバーされています。

世界で最も成功したアーティストの一人で、クラシックとゴスペルのフィーリングを持った独特なピアノが特徴のエルトン・ジョン
その独特のピアノスタイルは、その後多くのアーティストに影響を与えました。有名な曲としては、イギリスだけでなく全米でも大ヒットした『♪Your song』、マリリンモンローに捧げ、ダイアナ元皇太子妃の葬儀でも歌われた『♪Candle in the Wind』などがあります。

エルトン・ジョンとしばしば比較されるピアニストにビリー・ジョエルがいます。1973年『♪The Piano Man』が全米でヒット。その後『♪素顔のまま
で』や『♪Honesty』などが次々と世界でヒットしました。彼はニューヨークを歌う歌手として人気があり、大都会の哀愁と市民の生活感をみごとに歌いあげています。


駆け足で掻い摘んでお話ししましたが、いかがでしたでしょうか?

クラシック音楽に比べたら比較にならないほど歴史は浅いかもしれません。
ですが、その時代、そこに生きた人々に寄り添いながら発展してきた大衆音楽ならではの力強さを感じたのではないでしょうか。

いくら音楽が好きでも、この世にある全ての音楽を聴くことはできません。
音楽との出会いも一期一会です。

魅力的な人に出会った時のように、音楽との出会いも大切にしてみてください。
より深く知ることで、もっと好きに、もっと仲良くなれるかもしれませんよ。

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